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このコーナーにはさまざまな事柄についての文章、散文詩などを掲載します。

Vol.1 手紙

ひさしぶりに手紙を書いています。
だけど、もう何度も書き直しています。
何でこんなに書き直さなければいけないのかが、自分にとってもいまだ分かりません。

多分それは君に急いで伝えなければならないってことでもないし、期限があるわけでもないからだと思います。
自分がなんとなく思った事を気の向くままに便箋にペンを走らせたけど、君に宛てているのはあくまでも理由で、本当は自分自身に言い聞かせようとしているような文章にだんだんなってきている。
自分勝手な文章を見ては落ち込んで便箋をムチャクチャに丸める・・・
今日まさに封筒に入れて送ろうと思い。もう一度読み返してみると、何故か古く感じるんだ。

それだけ、時間の流れが今は速いって事かな?
先日も少し考えた事があって、生きているから時間が経っているのか?それとも時間が流れているから自分が生きている自覚が持てているのか?僕は時間を潰す為に生きているのかなぁ〜なんて、時々それがわからなくなることってない?

人は一分前に帰る事もできないし、一分先にも行く事はできない。今の現状をそのままに伝えたいと思うのなら、やはり手紙というのは手段としては適応できなくなってしまったんだろうか。
こんな事を考えるってことは、自分ももう新しくは無いって事かな?そんな気分の時、自分の顔を鏡で見て、皺の一つでも入っていたら「俺もふるくなったなぁ〜」って、笑い話にもなるんだけどね。


人間の歴史ってやつを見てやると、進化の過程で他の動物には知りうる事のできない事実を掴んでしまった。
それは何かわかるかい?
普通なら言語を使えて、道具を作る事ができて、火を扱う事ができ、そして何よりも二足歩行ができるとか・・・こんなことを思い浮かべると思うんだけど、僕が最近思う事は、未来を予想できる脳を持ってしまったという事なんだけどね・・・君はどう思う?

僕が以前読んだ本の中で、母猿が死んだ子猿をずっと抱いたまま手放さなかったって話を読んだんだ。どうして母猿は子猿を放さなかったのかわかるかい?どうも死んでしまったということを理解できないという事らしいんだ。最終的に子猿を手放したのは、腐ってしまって完全に形が無くなってしまってかららしいよ。

人間は脳が発達してすばらしい進化を遂げてきた。しかし、そのすばらしい進化を獲得したのと同時に一生逃れらない難題にも直面してしまった。それはいつか自分も死んでしまうという近い未来を知り、同時にそれに対する不安と恐怖を知ってしまうことになる。

未来を予測できる能力を持ってしまった事は、人間が発達する重要な鍵になった。それはどういうことかというと、人間は自ら将来のために、そして大人になって困らないように、学問を身に付けようとする行為が生まれた。将来生きていく為の知恵を持つ事を本能的に知るのではなく、自らの意思で学ぼうという点が、他の生き物とは違って大きく人の進化を促進させた。
それを獲得してさらに生まれたのは、死への恐怖から逃げるために「神」という産物を作り出した事と、死後の世界を創造し、霊魂というものを信じるようになった事。そして人間にとって都合のよい「宗教」というものが生まれた事。

人間とは最も強くてきっと一番弱い生き物だろうね。
弱いからこそ、ありもしない神を作り上げたんだと思うね。神からの天罰なんていうけど、実際は人間が裁くことになるんだよ。結局はさ・・・


僕は人間として、進化をしている途中に生まれてきた。しかし、明日にも人類が滅亡するなら最後の形の人間という事になってしまう。人間が作り出したこれまで文明は、最近急速に飛躍していることを感じる。この先どこへ行こうとしているか分からない・・・どうなっていくんだろう・・・まぁ答えなんかでるわけがないんだけど・・・

僕は将来人類が滅亡して、我々が恐竜時代の化石を発掘するかのように、地球上の次なる生命の主役たちがCD-ROMを発見してしまったら、果たして再生する事ができるであろうかと真剣に考えた事があるんだ。
このCD-ROMの中に画像が入っていて、音楽も入っているなんて事はひょっとしたら分かるかもしれないが、まぁまず無理だろうと考えてるんだ。エジプトのパピルスの文章や洞窟に眠る壁画は究極のアナログだし、掘り当てれば、何らかの文字情報を解析して理解する事ができる事だろうと思う。


結局何が言いたいかっていうと、人は動物と同じように種を守ろうとする。そしてイヌのマーキングと同様に何らかの情報を残そうとする。しかし、この情報が難解であっても、デジタルデータとして残すのではなく、紙の上にアナログとして残す事が必要な事なんじゃないかな?
手紙を書く行為というのは、自分を残す簡単な方法なんじゃないかな?

手紙は自分を自分以外の誰かに伝えるもっとも劣化せず、温もりのあるもので、それはまるで画を描く、写真を撮るという行為と同じで、重要な手段なのかもしれないね。

僕が突然こんなことを書き出したのも、きっと今ある現状に満足していないからなんだということは分かっているんだ。今の自分がこの先どうなっているかなんてわからないけど、自分の努力だけでは変われないレベルまできてしまったのを感じる。きっとこの先は運命ってやつになっていくのだろうか?


あわよくば、この手紙を読んだら、君の家の庭先にこの手紙を埋めて欲しい。この手紙を書いているこの瞬間こそが最もすばらしい僕の等身大じゃないかな?何年後かの自分にいつか読ましてやりたいと思っているし、これはひょっとしたら、ロックンロールが永遠のように、この手紙も永遠になるかもしれない。

僕の何年後なんて想像もできない。ひょっとしたらまったく違う事をしている可能性だってある。真実はいつも自分と時間の狭間にある。君にわざわざ言うべきことではないかもね。オレは今何について悩んでるんだっけ?とりあえず、今は生きてます。

なんで、庭先に埋めるのか?たぶんこう言いたいハズだよね。僕自身これを書いたことを忘れていたいからだよ。こんなことをお願いできるのは君だからだよ。




(あとがき)

記憶は常に捏造され、自分に都合の良いものに置き換えられていく。
人が情報を残すという行為と、忘れることも背中合わせになっていて、仲良しセットみたいなものだ。

実は記憶を残した時点で、忘れることもすでに始まっている。そうして曖昧なイメージというフォルダに保存されていく。こうなる事が身体で解るって事じゃないだろうか。
この「手紙」と言う文章には人間って「こんなもんだ」という、将来の自分と将来の誰かに伝えたくて書いてみました。
受け取る人によっては返信をしてくれる人もいるでしょう。コレが情報の修正であり、改ざんであり、また新たな「何か」が生まれてくるのだと思います。

DEC 21, 2005 Koichi Sakurai